多様性と感度

 気がつけば前の投稿は2018年1月。なんともう9月になってしまいます。あっという間に時が経っていました。
 ニュースなどで多くの方がご存知かと思いますが、今年度から小学校では道徳が教科化となりました。これまでは、教科外の特設の時間として道徳は存在し、学校単位で比較的自由に任意で行われてきたものでした。
 教科となれば他の科目同様に文科省の学習指導要領に基づいた教科書検定を受け、各自治体の採択を受けます。私は、これまでも道徳の教科書の制作に関わらせていただいていましたが、教科化となると制作の現場の雰囲気は大きく変わったように映ります。
 教育の分野に関わらせていただいて思うのは、提供するコンテンツの責任の大きさです。特に子供に対する教育であればなおのこと。人生を絵画に例えると、真っ白なカンバスに何を描くのか、その下地は「教育」にあるからです。何をどのように教えるのかによって子どもたちの描く絵が変わってしまうのです。豊かな色遣いで描けるのか、どうしたら良いか分からないまま乱雑に線を引くのか、そもそも絵なんて描く気がなくずっと放っておいてしまうのか。
 絵で表現できる世界の多様性を獲得して、 自らが意欲を持って描くことができれば、きっとその絵は誰が見るよりも本人にとってかけがえのない素晴らしい作品となるでしょう。そうした素地を作るのは教育だと考えると、教科書制作に関わる者としては身の引き締まる思いです。

 忙しい中でも、趣味である映画・演劇・音楽鑑賞は惜しまず時間を捻出しています。初夏に、『羊と鋼の森』 を観ました。ピアノの調律を主軸に描いた物語です。
 私も幼い頃からピアノを習っていて、1年に1度、我が家に調律師の方が来ていたことを思い出します。調律師さんが来ると少し離れたところに座って、その様子を見るのが好きでした。なぜなら、その時だけピアノの内部を見ることが出来たからです。複雑に組み合わさっている木の部品、丸いドロップ形をした羊毛フェルトのハンマー、ピーンと張られた鋼の弦が鍵盤をたたくとからくり時計のように一定の規則で動作し豊かな音が響き渡る・・・。シンプルな音が生まれるその裏にある複雑な構造に感心してその様子をじっと見ていました。
 世の中がデジタル化して、なにもかもコンピューターに任せることが出来ると言っても、やはり、音楽の世界はそれだけでは決して届かない場所がるようです。音色、響き渡り方は、音波つまり周波数の問題になるので、周波数を機器で測定すれば正確な調律は可能かもしれませんが、こと、芸術の分野は理屈だけでは通用しません。音色は文字通り、音の色。同じ音でも、伝わり方が微妙に違うということです。歌うように、跳ねるように、鳥のように、波のように、、、など、音への色付けは奏者によるものですが、楽器と奏者との相性、力の加減、演奏する環境、そして心の込め方、、、すべてが、音色に反映されるものだと思います。
 こうした至難の世界に挑む若者の姿を『羊と鋼の森』は描いています。映画は淡々と、静かに展開しながらも、主人公の青年の心の大きなうねりを感じながら、瑞々しさを伴っていました。
 今、私が暮らす家にあるのは電子ピアノなので日常は電子ピアノの音を体感するしかありません。たまに帰省してアコースティックピアノに触れると、全く違う楽器のように感じます。
 これが、「色」の違いなのでしょうね。
 違いが分かる男・・・どこかのCMコピーにありましたが、いろいろな意味で『違いの感じられる人』になりたいです。

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