アソビながら

 今年はいつまでも秋を引きずっていましたが、12月半ばに差しかかってだいぶ冬らしくなってきました。早いもので2018年もラスト2週間余り。どうしたらよいものか、この時の流れの速さは、自らを奮い立たせる気力はもはや追いつきません...。
 今年もとても良い1年になりました。この「良い一年」の「良い」の殆どは『無事であった』という意味が大きいです。無事に、無難に過ごせることの有難さは、先日発表された今年の漢字『災』からも分かるように、年々、自然災害の脅威に脅かされているからなのはもちろんですが、私自身の年齢的にも"そろそろ”″あちこち”気をつけなければならない環境と身体になってきたことを自覚しているからです。 皆が健やかで、平穏に暮らせる日が1日でも続くことを祈ります。

 社会は歴史と共に進化していると言われていますが、果たして本当なのでしょうか。そもそも『進化』とは(物事が一層優れて発展すること)という意味だそうですが、それはテクノロジーの世界では語られるのでしょうが、扱う当の人間たちはいかがなものか。。。
 『本を読まない人が増えている』というのは事実なようで、我が子も高校生になった途端、本を持つ姿を見ることが無くなりました。代わりに手にしているのはスマホ。読書の時間はスマホに取って代わられたのです。
 来年で平成が終わります。昭和生まれの人間が「昔の人」として特別な扱いを受けるのもそう遠くないでしょう。そんな昭和の人間が、平成を代表するIT技術の発展にケチをつけるようなことを言っている風に届いてしまうのは口惜しいのですが、それにしても、この技術の進化は、人や社会をも進化へと導いたのだろうかと疑問を持たずにはいられません。
 アナログの世界は(アソビ)が多い。ここで言う(アソビ)とは、車のブレーキでいうところの(アソビ)と同じ意味です。ブレーキを踏んでもすぐにはかからず、若干の猶予があります。私にとって(アソビ)とは、何らかの意味付づけや目的を特定しない時間を過ごすことです。 他者の自由を尊重し許容する″いい加減さ”です。
 本は言葉から自分の脳内で想像の世界を広げる作業です。つまり、自分が見て経験した範囲でしか想像できません。川端康成の『雪国』のトンネルを抜けた先の世界は、自分が経験した雪の世界でしかなく、作者の描いた世界とは異なります。つまり、この違いが(アソビ)でもあると思います。その(アソビ)の中に、無限の世界が広がる可能性が秘められているのですから。
 融通や臨機応変は(アソビ)の中に存在します。すべきことは1つじゃない。あれもこれも可能性があり、どれも間違いではありません。その時々に自分の想像力を働かせて、自分で選択して行動すること、その結果は誰の責任でもなく自分のものです。人は考えることを許された生き物なのですから、とことん考えることも悪くない。ただし、その根拠となる脳内データベースは、自らの経験でしか蓄積されないからこそ、多様な経験が尊いのでしょう。
 デジタル化社会となって(アソビ)が減りました。白か黒、〇か×、善か悪、どんな2択で物事を判断し、他者に対する一斉攻撃に加担していることさえ気づかない世の中になりつつあります。自分だけが正しいなんてことはあり得ません。だからこそ(アソビ)ある生き方を大事にしていきたいと思っています。
 
 

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