桃とモモ

    先日、友人から立派な桃の詰め合わせが送られてきました。

   桃と言えば山梨県が有名ですが、聞くところによると山梨の人は、完熟前の硬い桃を好んで食するとのこと。・・・実のところは、熟するとすぐに傷みやすい桃は熟れる前に収穫して全国に出回るそうですから、きっと、とりたての若い桃が店頭に並ぶ地元ならではの食事情なのかもしれません。

    立派な桃がずらりと並んだ光景は、可愛い赤ちゃん猿がお尻を並べている姿を想像してしまいます。真っ赤、薄桃、少し黄色みがかった桃色、、、白い網状のフルーツキャップからはみ出た桃はどれも愛嬌があります。

 今でこそ言葉を扱う仕事をしている私ですが、幼いころは、お日様が空に在るかぎり、外で走り回り、泥んこになって遊び、帰宅すればくたびれ果て、早々に寝床についていたので、本を読む時間など皆無の生活を送っていました。

 そんな私が、初めて夢中になった本が、『ちいさいモモちゃん』シリーズです。当時、私は埼玉県の東部にある田舎町に住んでいましたが、近所に本屋はなく、町の中心地に唯一ある本屋さんが月に数回、注文した本の配達に来てくれていました。そこで、母がお勧めの本や新刊本などを紹介してもらって、書籍や雑誌を購入していたのでした。
 なぜ、この本を手にしたのかは覚えていませんが、あの本屋さんが届けてくれたことは覚えていますので、きっと、「本を読まない娘に、なにかいいものはないか?」と、相談でもしたのかもしれません。クリスマスか何かのイベントで、この『ちいさいモモちゃん』を買って貰ったのです。

 活字を覚えたての私にとって、モモちゃんの体験は、今でいうところの「あるある~!」というものばかり。モモちゃんの日常は私の日常。まるで自分が体験しているかのごとく、物語の世界に入っていきました。すぐ母に、続刊にあたる『モモちゃんとプー』を催促したことを覚えています。

 時を経て、待望の第3巻にあたる『モモちゃんとアカネちゃん』が手に入ったところで、今までのワクワクが変わっていきました。モモちゃんと自分の境遇が少しずつ違っていったのです。
 それでも、モモちゃんの家族の物語は私にとって、とても新鮮でした。妹のアカネちゃんの誕生までは、ほのぼのとした温かい日常とともに、不思議で好奇心に満ち溢れた出来事が綴られています。やがて、モモちゃんの家族は両親の離婚で離ればなれになります。
 自分に身近な体験と、程遠い想像の世界が交錯していて、モモちゃんとアカネちゃんの成長に、自らを重ね、
「大人になることって、、、そんなにラクなものでもないのかな・・・」
 と、ちょっぴり現実的なことを考え始めるきっかけになったのも、このシリーズの影響です。

 子供はいつか、大人になる。。。大人にならなくてはならない。
 大人は何でもできて、いいことばかりだと思っていたけど、、、そんなにラクなものでもないのかな・・・。
 子供は親を通して、大人の事情を垣間見て、いつまで子供でい続けられるだろうと模索するのかもしれません。

 すっかり大人と言われる年齢を過ぎても、いまだにこの本を読むと胸がキュンとします。そのほろ苦さは、子供の頃に味わったのと同じ。時を経て、いろいろな経験を積んだつもりでも、子供の心はちゃんと胸の奥に残っているのです。
 この子供の心を大人になった自分が、優しく面倒を見てあげるときがあっても良い気がします。子供の心は、いろいろな場面で、メッセージを送ってくるからです。
 本人はなかなか気づきませんが、感情を揺さぶられるとき、必ずと言っていいほど、それは子供の心の仕業だと思っています。
 時間を巻き戻して、生きなおすことができないから、、、大人の自分が、子供の自分の面倒を見て、声に耳を傾けてあげることが大切だと思っています。

 
 『ちいさいモモちゃん』シリーズ、詳しくは、松谷みよ子さんの公式ホームページをご覧ください。

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