タンザニアの思い出

 これは、私が25歳のころの写真です。もちろんデジタル画像ではありません(笑)。写真の劣化具合を見ると歴史を感じてしまいます・・・。
 2回目の東アフリカへの旅。タンザニアのダル・エス・サラームで、長いドライブの休憩に足を伸ばして、ホッとしているところだと記憶しています。ちなみに、私が乗っていた車は、フロントガラスのひび割れをガムテープで養生していたボッロボロのライトバン(しかし日本車)。トヨタの四駆などという高級車はさすがにチャーターできませんでした。

 当時、アフリカではエボラ出血熱が流行しており、アフリカ大陸に渡ると言うだけで、「まさか、エボラに感染なんてないでしょうね?!」と心配されたものです。よくよく思えば、アフリカ大陸はとても大きくて、日本列島が約80個も入ってしまう広さですから、局地的に深刻な感染症が流行しても、アフリカ大陸全土に蔓延するとは考えられません。でも、そのくらい、遠くて、、、遠い国なのです。



 薄紫色がかった青色が美しいタンザナイトの石を見るたびに、タンザニアへの旅を思い出します。東アフリカの富士山とも言えるシンボル的な存在であるキリマンジャロの朝焼け色。夜がまだ陽の光を受け入れがたく、名残惜しく闇を残している時の大陸と空の境目の色。アフリカの朝焼けは神秘的な青紫色をしていました。
 20代ということで、まだまだロマンチストだった私は、キリマンジャロを眺めながら、ヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』 を読みたいと、旅行鞄に文庫本を携えたものの、宿泊したロッジは午後9時で完全消灯。早朝は、日の出とともにサファリに出掛けるので、読む暇はほとんどありませんでした。

 何かを探しに何もない世界へ行った東アフリカへの旅。広大な平原と青い空。横切る野生動物と、乾燥して埃っぽい風。夜中に聞こえるのはハイエナの遠吠え。これほど違う世界が地球上で同居しているのであれば、宇宙単位で考えると、生命が存在する星があっても、宇宙人が暮らす星があっても不思議ではありません。

 自分の目の前に広がっている世界がいかに小さく、そしてその小さい世界の中に自分の心の大半を費やしているのか、しみじみ思ったものでした。ロッジで現地の人が演奏してくれた民族楽器のドラムの音は、まるでアフリカ大陸そのものが脈打つように、生命のエネルギーを感じました。

 自然を超えるエネルギーはこの世にはありません。私たちは、この自然の中に生かされていることを思い知らされます。東京はたくさんの人、たくさんの物であふれていますが、アフリカで感じる生命のエネルギーからは程遠く、混ざりに混ざった人間の感情が渦巻いています。人混みの中に身を置くと疲れてしまうのは、この渦の中に引き込まれてしまうからなのかもしれません。

 人は誰でも自然を恋しく思うものです。それは、自分たちが生まれてきた核となるエネルギーを欲しているからなのでしょう。有機物に溢れ、大小多種の生命が宿り、生命同士のエネルギー交換がされている場所。そんなアフリカでさえ、内紛や自然破壊、貧困や感染症など先進国にはない問題を抱えています。アフリカが素晴らしい世界だとは一概には言えませんが、文明先進国で生きる私には無いものを教えてくれました。

 生きることに必死です。今日を無事に生き延びることができたことに感謝です。そんな当たり前を改めて見つめたいときに、私は、この旅のアルバムを開くのです。


コメント

人気の投稿