幸運のおすそ分け

 深緑の中にいると、心身を浄化するシェルターに通されているような気持になります。どんなに強烈な太陽の光でも、木々の間を通り抜けると、心地良くて柔らかな光のシャワーに変わり、私たちを優しく照らしてくれます。

 8月は今日で終わります。今年の立秋は8月7日でしたから、すでに季節は秋なのでしょうが、ここ数年の猛暑続きで、秋を感じるのは、10月近くなってからのことが多かったように思います。2017年は、例年とは少し違っていて、曇りの日ばかりが続き、湿度が高くて蒸し暑かったものの、8月が終わりに近づくと、サラリとした秋の夕暮れを感じる日が増えてきました。
 世の中では子供たちの夏休みが終わると、ここからは一気に年末まで突き進んでいくように感じます。


   
 人には生きる癖とでも言いましょうか、日々を過ごす中で、何度も遭遇する人生のパターンなるものがあるようです。それは、一人ひとり違いますが、どうも私は、窮地に追い込まれると必ず誰かが、何かが助けてくれるという幸運に恵まれてきたように思います。もちろん、できれば窮地に追い込まれたくはないのですけれど。
 フリーランスで仕事をしていると、サラリーマンとは違って、安定した収入が保障されませんから、山あり谷ありの経験は誰でもすると思います。まだ、駆け出しの頃、仕事が安定せずにどうしようか、、、と不安になることがありましたが、そんな時に限って、いい仕事が舞い込んでくるという経験は何度もしています。でも、今回はもう少し違った『窮すれば通ず』お話をしたいと思います。

 私にとって30代前半は、自分だけでは手立てが見いだせずどうしようもない問題が立て続けに起き、心身ともに滅入ってしまった、いわゆる闇の時代がありました。子供もまだ幼くて手がかかる時期でしたので、誰かに頼りたい気持ちがあるものの、気軽に「お願い!」を言える人は身近になく、必死で日々を過ごしていたように思います。当時のことはあまり覚えていません。

 その頃、私が利用していたクリーニング屋さんは、自宅から少し離れたところにあり、わざわざ車を運転して行っていました。今思うと、日常づかいのクリーニング店なのに、どうして、あんな遠いところまで通っていたか、その理由は忘れてしまいましたが、この店主の女性がいつも笑顔で、ちょっとした会話が楽しく、きっと彼女に会いたかったからなのかもしれません。洗濯物を出し、引き取るだけなのに、なぜか彼女とは話が弾み、ある時は、彼女がクリーニング店を開くいきさつまで聞かせてもらいました。

 どん底の時期の私でしたが、そんな素振りなど見せず、彼女と顔を合わせるたびに、楽しい会話を弾ませていたのですが、ある日のこと、
 「これ、おひとつどうぞ」
 と、小さな和菓子を頂いたのです。
 「この店によくいらっしゃるお客さんからいただいたお菓子なんだけれど、このお客さん、とってもいいことがあったんだって。さっき、店に来た時に、そんな話を聞いてね・・・。九州のほうへ旅行されたそうでそのお土産ですって」
 そして、
 「いいことがあった人からいただいたものだから、、、あなたも、きっといいことがあるわよ!幸運のおすそ分け。」
 と、言いながら、小さなお菓子を手渡してくださったのです。

 なんてことのない会話なのかもしれませんが、私にとっては、本当に沁みるタイミングでした。 『幸運のおすそ分け』とは、なんて素敵な言葉でしょう。運がいい人がいて、その人からいただいたものを、みんなに分ける。。。たまたまのタイミングで店に行った私ですが、これぞ千載一遇というものでした。店からの帰りの車で、この出来事が嬉しくて、感謝の気持ちにあふれて、涙を流したことを覚えています。
 小さなお菓子と幸運をいただくと、私を縛り付けていた悩みの糸はスルスルッと解けて、すべてが一気に好転していきました。(ここでは、その詳細は省きます。が、けっこう深刻な問題だったんですよ)

 以来、『幸運のおすそ分け』は、私にとっては、とても大事なアクションになっています。ラッキーなことがあった時、いいことは、周りにおすそ分けすること、それは、些細なことで良いのです。わざわざ、お菓子を買って配らなくても、「元気?」という連絡をするだけでも、、、声をかけたいと頭の中に浮かんだ人に、電話でも手紙でもメールでも、ちょっとした楽しい話をするだけで、もうそれは、幸運のおすそ分けをしているようなものなのだと思っています。
 本業の傍らで、ご希望の方にフラワーギフトをお作りさせていただいていますが、フラワーギフトは大切な人に贈るギフトがほとんどです。ですから、お作りする私がラッキーでないといけません。良いことが起こる不思議なフラワーギフトだと言っていただいているその理由は、『幸運のおすそ分け』の気持ちをたっぷり込めていることも、あるかもしれません。


 いつまでも『幸運のおすそ分け』ができるように、心も身体も健康でい続けることが、私の当面の目標です。
 
 ・・・つまりは、愚痴というものは、あまり欲しくないおすそ分けですね。嫌なことがあった時、誰かに話してスッキリしたいと思うことは、誰にでもあると思います。でも、そんな時こそ、楽しい話題を中心に、良いこと、良かったことを言葉にしてみると、幸せの循環が巡るのだと私は信じています。

 木々の緑も澄んだ空気も、私にとっては大地から幸運のおすそ分けを頂いているようです。



 


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